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トルコは負け組?なぜEUに入れないか

トルコ 国旗.png
長く続いているトルコのEU加盟問題に新しい展開が起きた。欧州議会がトルコとのEU加盟交渉を凍結する決議を採択したのだ。これはトルコのEU加盟を断るという解釈をしていいのかもしれない。


トルコのEU加盟交渉は約50年ほど続いていると言って良い1963年にEUの前身であるEECへ加盟を申請している。1987年にはECへ加盟を申請し、1999年にようやく正式加盟国として承認された。加盟交渉は2005年にスタートしたものの、今に至っているここで一つの疑問が浮かぶ。

なぜこんなにもトルコはEU加盟を望んでいるのに入れてもらえないのだ!かわいそうではないかと
その理由はちゃんとあるよう。。。。。

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理由は3つあるといわれている。

1つ目は地理的要因である。トルコの土地の95%は欧州の外にある。そしてトルコの隣国にはシリア、イラン、イラクなど治安が安定しない国々が存在しているので、もしトルコがEUに加盟した場合は安全保障の見直しが必要になるからだ。

2つ目は経済的な問題からだ。トルコの国土はEUのどの国よりも大きく人口は7500万人とEUの中ではドイツの次に多い数である。そして一人当たりのGDPは1万ドルの大台に乗った。
このことによりもしトルコがEUに加盟した場合トルコからEU圏内へ労働者が流れていくだろう。

3つ目は最大の要因と言われている、キプロス問題だ。
トルコの加盟交渉にはEU加盟基準を満たすという課題以外に、南北に分断されたキプロスの外交問題が重くのしかかっていた。
 
キプロスは東地中海に位置する島であり、日本の四国の半分ほどの大きさだ。キプロス島にはギリシャ系住民とトルコ系住民が住んでいる。19世紀末にキプロスはイギリス領となったが、ギリシャ系住民はキプロスのギリシャ併合を求めてエノシスと呼ばれる反英独立運動を展開した。一方、島のマイノリティーであったトルコ系住民はエノシス運動に反対し、キプロスの分割統治を訴えた。これによりギリシャ系住民とトルコ系住民との間で対立が激化していった。
 
反英機運が高まった結果、キプロスは1960年にイギリスから独立し、キプロス共和国(以下、キプロス)が成立した。共和国大統領はギリシャ系住民、副大統領はトルコ系住民から選出、国会議席数や公務員数は人口構成比に基づき両住民間に配分されることになった。独立に際し、イギリス、トルコ、ギリシャはチューリッヒ協定を結び、キプロスの独立と民族間の共存関係を保障する義務を負うこととなった。
 
キプロス共和国の成立によって民族間の共生が図られたものの、対立関係は解消されず、ギリシャ系住民に有利な憲法改正が提案されたことからトルコ系住民は反発、自治拡大を目指す運動を展開する。こうして1963年には住民間の武力衝突が発生し、1964年に国連平和維持軍が派遣された。
 
1974年7月、ギリシャとの合併を目指す勢力が、ギリシャ軍事政権の支援を受けてクーデターを決行した。キプロスをギリシャと合併させるということは、チューリッヒ協定で保障されたキプロスの独立を脅かす事態である。したがって、トルコは協定締結国であるイギリスに共同軍事介入を申し入れたがイギリスはこれを拒否した。
 
このためトルコ政府は、トルコ系住民の生命と財産の保護を理由にトルコ軍を単独でキプロス島北部に侵攻させ、8月には島全体のおよそ40パーセントを占領し、合併派によるクーデターは失敗に終わった。トルコ軍支配下のギリシャ系住民およそ16万人は南部に、ギリシャ系住民が多数を占める南部からはトルコ系住民5万人が北部に移動もしくは強制的に移送され、両住民の隔離が進んだ。
 
その後両住民間での和平会談が物別れに終わると、1983年6月にトルコ系住民側は「北キプロス・トルコ共和国(以下、北キプロス)」として独立を宣言し、キプロス島は事実上の分断状態となった。北キプロスの独立を承認しているのはこれまでトルコ(およびイスラム諸国会議)のみであり、外交的には孤立し、経済はトルコに依存している。一方ギリシャ系のキプロスの独立は国際的に承認されており、経済的には観光業と金融業を中心に北キプロスに比べて発展を遂げている。国際的には北キプロスという国家は存在せず、キプロス北部はトルコによる不法な占領下にあると認識されている。
 
その後は国連による仲介交渉が断続的に行われるが、統合は実現されないまま、2004年にはコフィ・アナン国連事務総長の提案する再統合案(アナン・プラン)が国民投票にかけられた。北キプロスでは65パーセントの投票者が賛成したが、ギリシャ系のキプロスでは統合反対が76パーセントとなり、再統合案は成立しなかった。そのため、キプロス共和国だけが2004年5月にEUに正式加盟し、北キプロスは取り残される形となった。
 
EUも支持した国連による再統合案を受け入れた北キプロスを蚊帳の外においたまま、それを拒否したキプロスだけを加盟させたことは、EUの大きな過ちであるとトルコは反発した。しかし、分断状況の解消なしにキプロスのみがEU加盟国となったことで、トルコの加盟交渉は難しくなった。というのも、加盟国による全会一致の原則を採るEUにおいて、キプロスはトルコとの加盟交渉で拒否権を行使できるからである。
 
EUは加盟交渉を進める条件として、トルコにEU加盟国となったキプロス共和国の船舶や航空機に自国の港湾を開放するよう求めている。これは事実上トルコにキプロスの主権を承認するよう要求していることを意味する。もちろんキプロスがEU加盟国となったために、トルコがもしEU加盟を実現した場合には、トルコはキプロスを承認しなくてはならない。
 
しかし、トルコ政府からすると、キプロス承認という条件はそもそもEU加盟交渉開始時にはEUからは提示されていなかったのであり、今になって新たな条件を出すというのはフェアではないということになる。いわば、EUはトルコの加盟を遅らせるためにキプロスを「カード」として悪用しているとトルコでは見られている。また、キプロス問題解決の仲介者はあくまでも国連であり、EUが口出しすべきことではないとの認識も与野党で共有されている。
 
つまり、トルコのEU加盟交渉が停滞した理由は、トルコの改革が不十分だということだけではなく、本来はEU加盟とは別問題であったキプロス再統合問題が、2004年以降、加盟交渉の焦点となってしまったことにあるといえる。


キプロス問題 参照  http://synodos.jp/international/5392/2





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